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お客様の要求に応える「誠意」。
開発への「チャレンジ」。
品質を向上させる「情熱」。
低価格と標準化への「こだわり」。
鈴木製機に脈々と流れるDNAの結晶がポーリフトです!

ここでは、鈴木製機のポーリフト誕生秘話をコラム形式で連載いたします。
(毎月更新)

第2章:汗と愛想笑いの時代(10月号)

どの事業にも3つの時代がある。チョットお洒落に「AAの時代、HHの時代、MMの時代」。しかしその意味はというと、「汗と愛想笑いの時代」「法螺とハッタリの時代」そして、「メニューとマニュアルの時代」。この3つの時代を経て事業は成り立っていくんだ。鈴木社長はそう言って憚らない。
お客様の悩みごと、ニーズが分からなければ、人一倍汗を掻いて多くのお客様を訪ね、話を聞く。ところが、業界知識も無ければ専門用語もわからないので、話を聞いても愛想笑いしかできない。売れなければ普通はそこで諦めてしまう。しかし、こんな場数の多さこそがお客様のニーズを掴むには必要であり、事業の土台作りには大切なのである。鈴木社長が言う「汗と愛想笑いの時代」とは、様々な製品や事業を立ち上げる中で培った自分自身への教訓とも言えるものだ。

第2章:汗と愛想笑いの時代

【ポーリフトWB型】(現在のポーリフト・ゼロ/WB)を初めて売ったのは35年まえに遡る。農協の担当者から「金額は1並びにしろ」と言われ111万円で販売した。製造原価とほぼ同じ値段だった。当然ながら儲けはなかったが、リフト本体と昇降路(囲い)が一体化した日本初の製品の誕生だった。従来は、リフト本体はリフトメーカーが設置し、そのあとで昇降路(囲い)を建築業者が施工するというのが一般常識だったから、設置場所に制約があり、完成までの時間もコストも掛かる。だが、リフト本体と昇降路(囲い)を一体化すれば、従来よりもずっと省スペース化し、時間もコストも大幅に削減できるのだ。

振り返ってみれば当たり前のことだが、製品開発当時はお客様のニーズが分からない。何度断られて農協に足を運び、農作業用器具や肥料などの荷物の運搬作業について話を聞かせてもらった。何度も倉庫の中を見、寸法を測り、幾度となくリフトの設計図を書き直した。しかし、加藤が農協へ通い半年以上が経過しても、お客様が購入してくれそうな気配はなかった。「あの場所へ設置できたら運搬が楽になるのに・・」というお客様の言葉を思い出した。2階床の梁位置を変更しなくては設置できないレイアウトは、端から諦めていたので、気にも留めていなかった言葉だった。
「建築工事を不要とする製品・・・リフト本体と昇降路を一つの製品にすれば良いじゃないか!」加藤にアイディアが閃いた。これが、荷物リフターで画期的な製品となる【ポーリフトWB型】が誕生した瞬間だった。

第2章:汗と愛想笑いの時代

「省スペースで設置できます!直ぐ設置できます!建築工事が不要なのでコストも安い!」農協で誕生した【ポーリフトWB】をもっと多くのお客様に知ってもらうために、全国の農協へ説明して回った。いわゆる「法螺とハッタリ」で営業した。反応は上々。徐々に受注も入るようになった。
ところが、直ぐ設置できます!とは言ったものの、納品体制が整っていない。営業が、販売から製品運搬、設置までやることになる。加藤もトラックに乗って東京方面から新潟にまで据付に行った。4t車に乗って走り回った。加藤自らが出荷の準備をして、次の日の朝出発していた。自分で設計し、組み立てて、据付することもあった。ひどい日には、製品を積込み、展示会場で製品を降ろして組み立てる。展示会が終了すると、お客様の倉庫に向かい、自分で卸して1人で据付する。なんてこともあった。

ある日の早朝、先輩からの電話でたたき起こされた。「加藤、今から、小田原まで囲いをつけに行ってくれ!」急いで身支度をし、囲いの据付道具を会社に取りに行き、小田原のお客様に向かった。現地につくと、エビナットが着いているべきところが通し穴になっている。溶接は得意ではなかったがやるしかない。目が痛くて涙がボロボロ出てきた。据付が終わり本社のある掛川に向かう。当時は掛川にICが無く、最寄りの菊川ICで降りた。日付が変わろうとしていた。夜中の12時。そこで名古屋へ据付に向かう同僚の高橋のトラックとすれ違った。全員据付工事に手一杯だった。もちろん、鈴木社長自身も社員と同様に据え付け作業の現場に入っていた。「ファミレスの現場へ据え付けに行ってきたが、パネルがダメだ!新しいパネルはあるか。」時刻は10時を回っていたが、言い終わるか終わらないうちにパネルを持ってトラックへ乗り込み、また現場へ向かった。朝4時に帰宅することも当たり前のようにあった。全員がまさに不眠不休で踏ん張っていた。

鈴木製機が、「汗と愛想笑いの時代」から「法螺とハッタリの時代」へ移行していた。

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