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お客様の要求に応える「誠意」。
開発への「チャレンジ」。
品質を向上させる「情熱」。
低価格と標準化への「こだわり」。
鈴木製機に脈々と流れるDNAの結晶がポーリフトです!

ここでは、鈴木製機のポーリフト誕生秘話をコラム形式で連載いたします。

第4章:メニューとマニュアルの時代

第4章:メニューとマニュアルの時代

鈴木製機の製品カタログの背面には、SERECT MEMOがある。文字通りお客様が製品選びをするために必要となるチェック項目が並んでいる。荷物条件と設備条件にカテゴリー分けされ、前者には荷物の重量・パレット・荷姿・使用頻度、搬器内への積み込み方法をフォークリフト・ハンドリフト・台車・手積みなどからチェックでき、後者の設備条件には停止階・階高・積込取出方向を示したレイアウト各種、昇降路の形状、ピットの要不要などを確認できるフォーマットとなっている。見るほどに工夫されたチェック表である。項目数は多いものの、挿絵や図面を駆使し、ユーザーに項目数の多さを感じさせない。それでいて、設計が仕様を組み立てやすいように要件整理されているのである。

「社内では汎用品として作り、お客様には専用機として使ってもらう」

SERECT MEMOから、鈴木社長のコンセプトを垣間見ることができる。「ホラとハッタリの時代」から「メニューとマニュアルの時代」へ変遷した鈴木製機の象徴的な産物であるとも言える。

鈴木製機の「メニューとマニュアルの時代」の徹底ぶりは目を見張る。設計の標準化は当たり前、出図の自動化から、購買・出荷・据え付け工程まで標準化が進み、多くの工程にわたってマニュアル化されていった。そしてそれは、製品改善の仕組みにまで及んだ。

ある日、加藤は、ポーリフトの定期点検をするためにお客様を訪問した。音が気になった。ボールネジの音が大きかったのだ。回転数を落とせば小さくなるのではと加藤は考え、減速をかけてみる。するとやはり静かになる。ではピッチを小さくし回転数を減らせば製品改善につながる、そう思った加藤は帰社後設計担当の伊藤に設計変更の依頼をした。ところが伊藤は「問題があれば異常報告書を書いてくれ」と愛想のない回答。「ありがとう。改善する」という言葉を期待していた予想に反し、つっけんどんの伊藤の回答は加藤を怒らせた。「お客様のことを思えばこそわざわざ進言したんですよ!」「お客様を大切に思っていないんですか」先輩の伊藤に食ってかかった。「お前は本当にお客様のことを考えているのか?その場の思い付きだけで設計を変えたらどうなる?それは納期に影響するかもしれないし。価格に影響するかもしれない。もしかしたら故障の原因になるかもしれない。俺たちのお客は、安価で安全な製品を要望しているんじゃないのか?思い付きで設計を変えたら、それこそお客様を大切にしていないことになるぞ。そうならないために設計部は異常に対応するマニュアルを決めているんだ。改善はしっかり評価しなくてはならない。とにかく設計部は異常報告書がないと動かない」

第4章:メニューとマニュアルの時代

また、ある時の営業会議で、「設置工事をもっと外注さんに出していきましょう」と加藤は提案したが、営業課長に一蹴された。「それは、外注へ出すほうが手っ取り早いからか?」「それは違うぞ。外注さんに出してしまう前にまず我々自身が据付工事について精通し、標準化し、マニュアル化しないといけない。そうしなくては外注さんが安定した品質で仕事ができるような指導はできない。例えば4人5人で4日かける据付工事を2日でやる。または2人で一週間かける。あるいは初日は4人であとは2人とか。マニュアル化は単純じゃないんだ」

まさに社をあげてマニュアル化に取り組んだ。鈴木社長は、設計・製造から据付工事まであらゆる工程でマニュアル化を進めていった。そしてこの動きは同時に豊富な品揃えを可能にもしたのだった。

圧倒的に豊富なメニューと、マニュアル化による低価格と納期の短縮は、昇降機市場のニーズをとらえ売れ行きは加速していった。SERECT MEMOが記載された製品カタログは、数あるメニューからお客様のニーズに合った機種を選択し、お客様の要望を効率よく設計・製造へ伝達した。カタログによる販売を目指した鈴木製機の戦略は、業界にとってまさに画期的なものであった。1980年代バブル期、ポーリフトは昇降機市場を席捲しようとしていた。

社は活気づき、好景気に踊った。平成元年に新工場を建設し、翌年にはアクトシリーズを発売、誰一人としてこの後の暗雲を予測しなかった。バブルが崩壊、鈴木製機の勢いは水を差された。

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